技術教室コーナー第2号

★★【「等身大」が環境を守る。人為的加速を抑制せよ】★★

福岡 伸一  京都大学助教授

 米国でBSE(牛海線状脳症=狂牛病)が発見された。中国に新型肺炎(重症急性呼吸器症候群=SARS)が再び出現した。日本では養殖コイがヘルペスウイルスに侵され各地で大量死し、今度は、鳥インフルエンザが発生して数千羽規模のニワトリが死んだ。なぜ今日、動物を経由した病がこれほどまでに私たちを悩ませるのだろうか。
 病原体は個別で発生状況も異なるこれらの事象だが、通底する構造的共通点がある。それは病が、動物と人間との接点に突然のごとく出現し、版図をまたたくまに世界規模で拡大しているということだ。病は本当に突発的に現れたのだろうか。
 BSEはもともとスクレイピーと呼ばれる羊の風土病だった。それが牛へ、さらにはヒトへと種の壁を超えた背景には、草食の牛を促成肥育するために、羊や牛の死体から作った高タンパク飼料を強制的に与えていた事実がある。
 SARSの起源は野生動物だという。ハクビシン、アナグマ、ネズミなどが疑われているがむしろ問題は界面、つまり出会った場所である。新しい病の伝達には必ずや新しい生態学的界面の出現がある。隔絶された動物の体内に限局されていたウイルスとヒトが出会うためには何らかの人為があったはずだ。それは熱帯林の伐採や原野の乱開発のようなものだったろう。界面にはある程度の規模が必要だからである。BSEにせよSARSにせよ、病はある日突然無から立ち上がったのではなく、人間がつくった絡路を通じて着実に侵攻してきたのだ。
 侵攻にはもう一つの人為が働いている。新しい宿主へ乗り移るとき、病原体は適応的な進化が必要となる。進化すなわち変異と淘汰には通常、時間がかかる。しかし宿主となるべき生物が多数高密度で用意され促成的に肥育されしかも広範囲に流通されるとすれば?病原体にとってこれほど好ましい環境はない。自在に変化を試し、適者はすぐに自らを多数の宿主で複製できる。おまけに各地へ運んでくれる。経済的な加速は病原体の進化をも加速しているのだ。
 鳥インフルエンザの拡大はなお予断を許さないが、コイヘルペスの全国的な伝播の裏にこのような人為的加速があったことは想像に難しくない。BSEにおいてもリサイクルの名の下に病死体の飼料化が繰り返し行われ世界規模で流通したことが病原体の淘汰と拡大に手を貸した。
 物理学は私たちに可能なことを教えてくれたが、実は何が不可能かも教えてくれている。加速には余分なエネルギーが必要で、環境のどこかでそれ以上のエネルギーが失われている。一方、加速したことによって出現した効率は、環境のどこかでそれ以上のつけを払わなければならない、という単純な原則である(エネルギーとエントロピーノの法則)。つまり、動物と人間は共に環境の構成要素として動的な平衡関係にあり、部分を人為的に組み換えたり加速したりすれば確実に揺り戻しを受ける。私たちが現在、悩まされている病禍はまさに環境からの報復作用に他ならない。
 ならば環境の世紀といわれる今、私たちが再考せねばならないことは何か。第一に必要なのは、環境が人間と対峙する操作対象ではなく、むしろ人間を通り抜けている流れそのものだという視点である。炭素でも酸素でも窒素でも地球上に存在する各元素の和は大まかにいって一定であり、それが一定の速度で流れゆく中で作られる緩い“結び目”がそれぞれの生命体である。流れは巡り巡ってまた私たちに戻ってくる。そこで第二に必要となるのは、人為的な組み換えや加速をできるだけ最小限にとどめ、平衡と流れを乱さないことが本当の意味で環境を考える−すなわち私たち自身の生命を大切にする−ことにつながるという認識である。
 その意味で私が最近興味を感じるのは“スロー”という言葉である。スローフード、スローライフなど多様に使われつつあるが、その定義として私は等身大(ライフ・サイズド)という言葉を当ててみたい。もはや人間の知覚で追えないくらいに加速されてしまったプロセスを、もう一度、見たり聞いたり触れたりしてその良し悪しが判断できる程度の速度、すなわち等身大の速度にまで減速する試み、ということである。
 加速することに経済的価値があった時代から、減速することに価値がある時代への移行の契機がこの言葉に表れているとするなら、やがてBSEは再び限局された極めて稀な風土病へと戻り、人々の記憶から消えて行くものとなるはずである。

ふくおか・しんいち=京都大学助教授・分子生物学。1959年東京生まれ。訳書に「虹の解体」「マリス博士の奇想天外な人生」など。