経済コーナー第6

武田 晴人

東京大学教授


★★【「企業とは何か」江戸に示唆】★★

 「企業とは何か」が最近、改めて問われているが、その答えの一端は江戸時代の日本にある。近代企業の原型となる江戸期の「企業」の所有者・経営者に課されていた、適切な経営能力を持った人材の選択、継続的な再投資、信用の重視といった自己規律が問題を解くヒントになる。


企業の原型は非市場的存在
 どのような国の経済でも、近代の初期に様々な事業分野に企業が誕生した。とはいっても、企業を財やサービスの生産組織と見なせば、そうした組織は、近代以前からもあった。近代以前にも市場経済があったのだから当然だと考えるかもしれないが、それも正確な答えではない。
 例えば、王様お抱えの職人たちの仕事場は、市場との接点がないままに、それ自体としては分業や協業に基づいた生産組織となっていた。市場とはとりあえず無関係に、企業の原型になるような組織は誕生しうる。自給的な経済のなかにいた個人が、商品経済の発展とともに市場に参加し、売買取引を行うようになるのと同じように、そうした組織も市場に参加することによって、市場経済システムの重要な一員となる。
 そうなると、市場でものを売ったり買ったりするようになるし、人を雇ったり、資金を調達するようになるが、その組織そのものは元来「非市場的」な存在である。別にこれは、特別の発見でもない。『価値と資本』などの著作で著名なヒックスをいう経済学者が『経済史の理論』という書物で、市場の誕生に先行する出来事として強調していることだ。
 こうした視点に立つと、市場メカニズムと一体となった企業観から少しは自由に事実を眺めることもできる。
 江戸時代の日本に即してみたとき、当時の大坂や江戸、京都などにはかなり発達した市場経済が展開し、そこでは様々な商売が成り立っていた。三井とか住友とか近代の企業の原型となる企業は市場との接点を持って事業を展開していた。しかし、その姿をつぶさに見ていくと、近代の経済理論が想定しているような利益追求を目的とする組織という企業の姿とは異なる実像が見えてくる。そして、そこに企業とは何かの答えの一端が示されている。
 もともと、商人たちの活動にせよ、職人たち手工業者の仕事にせよ、それらは「生業」であり、「家業」と呼ばれるものであった。家族を養うための仕事であったことをこの言葉はよく示している。そしてそうした性格は、その当主の富とか、栄達とかとは距離のあるものだった。当主は大きな責任を負っていた。家族を養い、従業員の生活を保障するために、先祖代々の家業の継続を安定的に図る責任であった。
 しかし永続性が問題になると、それを確保する方策が必要になる。そのために克服しなければならない問題はいくつもある。


人材を選び、再投資に力
 まず第一に、失敗をさけるためには、適切な経営能力を持った人材を確保する必要がある。その人材は遺伝的には保証されないから、家族の一員にいるとは限らない。人材登用の仕組みが必要になる。
 大きな商家では番頭の登用に、長い時間をかけた選抜の仕組みが作り出された。子供のころに丁稚(でっち)奉公からはじめ、壮年になるまでに何段もの階段を順を追って上っていく。その到達した階段の高さで、のれん分け、つまり退職後の処遇も決まるし、その主家の信用の程度が、のれん分けしたときの自分の商売の信用にもかかわるから,奉公人には一心に主家に尽くすだけの理由もあった。
 経営者資本主義というと、今は死語かもしれないが、本来、企業が永続的な発展を求めるとすれば、こうした形で「餅(もち)は餅屋」に任せることが「原型の時代」には珍しくなかった。番頭の登用・人選は当主であり、その「家業」のオーナーの重要な仕事であったから、所有という側面が否定されたわけでもなかったことは言うまでもない。
 もっと小さな商家で、そうした分離もままならない場合には、養子縁組がしばしば代替的な方法となった。当主の嫡男がいたとしてもこれを跡取りとせず、廃嫡して「気の利いた」奉公人を娘の婿に迎えたり、あるいは養子を迎えて跡取としたりした。
 血のつながりはたいして重要ではなく、大事なのは「家業」を安泰に続けられる才能だった。たとえば、三井には、「三井組は家の主人より重く」という言葉が残っている。「男子相続罷(まか)りならぬ」との家憲を作った商家もあった。また、長女に婿養子を取ることを定めた例も知られている。
 第二に、継続的な再投資によって経営資源を枯渇させないことも必要だろう。そのためには、できるだけ再投資のための資金源を利益から確保しなければならない。浪費は戒められなければならない。そのため、家計の費用に充当する金高は制限され、事業のためにプールされ再投資された。
 所有者、出資者に保証すべきは高い配当ではなく、それなりの利益の分与で十分であり、家業の発展のためには、利益はできるだけ留保され、再投資されることが望ましい。財産の分割も回避された。事業活動に必要な資産が相続によって分割され、弱体化することをさけるためだった。だから、所有者には重い責任と同時に、厳しい制約、行動の自由の制限があった。厳しい自己規律を課していたといってよい。
 第三に、信用が重視された。奉公人に対する雇用の保障や退職後ののれん分けもその一つだが、よい製品を提供するために、製品の数量を制限したり、なじみの顧客を重視したりすることも当たり前のことだった。一見(いちげん)の客との商売を断るのは、敷居が高いからではなく、限られた商品やサービスを、適切になじみ客に提供するためには必要な制限だった。そして、そうした顧客が将来にわたって家業の有力な支えになることを彼らは経験的に知っていた。
 契約や責任についても、そうした視点から厳しい規律が課せられていた。近代に入って株式会社の有限責任制が導入されても、信用を重んじるがために持ち分限りの責任ではなく、無限責任を負って契約を履行し、債務を弁済することが望ましいとされていた。第一次大戦後の恐慌期に破たんにひんした企業、昭和始めの金融恐慌で解散に追い込まれた銀行などをみても、これに準じている例が多い。
 出資者は持ち分だけでなく、私財を提供した。また、経営者も出資者の付託に応えられなかった責任を、私財の提供などで果たした。それでも十分な債務の返済、預金の払い戻しができたわけではないが、そうした形で、信用を保つことが再起のための重要な基盤となると考えられていた。


ウェーバーの「精神」の共通
 こうしてみると、企業の原型は、所有者・出資者との関係が現在主流の企業間とは大きく異なっている。経営者資本主義的な側面が強く、しかも、永続性が問題になる限り、それは出資者などとは別の主体として実在する。もともと家督を相続すると、当主は家業を先代から預かり、次の世代へ引き継ぐことが責任とされていた。そうであればこそ、適切な人材を選択し、再投資に力を注ぎ、信用を重んじて、将来の発展に備えたのである。
 いま、企業は誰のために、何を基準に日々の経営のあり方や、将来の夢を描いているのか。
 企業の所有者・経営者に課せられていた厳しい自己規律は、マックス・ウェーバーが描いた資本主義の精神、つまり、倹約を通して富を蓄え、事業を拡大する行動原理と一致する。成果としての利益を自らの贅沢(ぜいたく)のために使う自由を彼らは認めなかった。これに対して、百年ほど前のアメリカについて、ヴェブレンは、顕示的消費を問題にすることで、これとは異なる事業家たちの姿を描いた。
 現代の資本主義の精神は、個人的な富の追求であり、それもある種の逸脱を伴ったものとなった。利益を自由に使うためには、企業の出資者のものでなければならなかった。そしていま、企業とは何か、利益は誰のものかが改めて問われ始めたのである。