経済コーナー第7

中西 輝政

京都大学教授


★★【「先進国型衰退」からの再生】★★

 日本の「不調」は一時的な現象ではなく、産業革命以降、英国を先頭に繰り返されてきた「先進国型衰退」である。いわゆる構造改革を超えた、人々の価値観、歴史観を一変させる「国民の文明力」の活性化が、衰退からの再生に必要だ。それは政治が主導しなければならない。


産業革命以降繰り返す現象
 この十数年、日本は「歴史的」と言ってもよい不調期の中にある。それはバブル崩壊後の未曾有の不況といった経済面にとどまらず、多くの局面において今まで経験したことのない「崩れ」の状況として現れている。
 多くの日本人は一方で「改革」の即効性に期待しつつも、心の底では、これは単なる「構造改革」ぐらいでは到底克服し得ない、何かもっと大きな歴史的スケールの問題ではないのか、と感じているようにも見える。それが本当はどんな問題なのかについて理解できないため、ただ漠たる不安感や情緒的な悲観の虜になり、またその裏返しとして、時と共にクルクルと変わる枝葉末節の「改革」論議に一喜一憂しているのが現状といえよう。
 もちろん現在の日本には様々な分野で改革が必要である。ただそれが本来どのレベルのものでなければならず、個々の改革の間の優先順位や改革策相互の多少とも体系的な関係、さらには改革を進める上で決め手となる「戦略的要衝」は何か、とりわけ目ざすべき国家の基軸をどこに据え直すのかが、一切議論がなされていない。
 その理由は私には明らかなように見える。それは政治家やマスコミも含め多くの日本人が一体、今この国に何が起こっているのか、その「歴史的不調」の意味について直視し、また深く歴史的で全体的なとらえ方をしないためだと思われる。
 今この国に起こっているのは、まごうかたなき「先進国型衰退」である。過去、日本よりも早く先進国となった国々に、それぞれの時代条件の中で繰り返し起こった現象が今、日本にも起こっている、と私は見る。古典的な「大国の興亡」という歴史叙述のジャンルが昔からあるが、それとは異なり約200年前、産業革命によって近代工業社会が生まれた後、それぞれの時点での技術条件や国際環境の中でいわゆる「先進国」となった社会は、その後くり返し周期的に活力や適応力の目立った衰退を経験してきた。
 拙著『なぜ国家は衰亡するのか』(PHP新書)で詳しく論じたが、この近代史に特有の「先進国型衰退」は、20世紀初頭に最初の衰退局面に入った英国を先頭に、フランスや米国、ややパターンは異にするがドイツや北欧などにも起こった普遍的現象といえる。「○○病」という、これら各国の国名を冠したジャーナリズム用語が順送りに使用されてきたことは、それを象徴している。
 しかしなぜ、このような普遍的パターンが生まれるのか、そのトータルな解明はまだ行われていない。20世紀に流行した唯物論的な歴史観や、自然科学の方法論へのナイーブな模倣に発する要素還元論と直截(ちょくせつ)的因果分析を妄信してきた近代社会科学の盛行が、かえって我々の視野を狭め「衰退現象」についての深い理解を奪ってきた。また経済学や政治学、社会学といった学問の細分化が総合的な歴史・文明現象としてしか理解しえない「先進国型衰退」を把握しにくくしているといえよう。


人口問題など衰退国に共通
 注目すべきことは「先進国型衰退」の状況に陥ったとき、多くの事例は大略、次の4つ点できわめて共通した現象に直面していることである。
 第一にいずれの例も衰退期に先立って国全体の出生率の低下に大きな関心が向けられ、将来の人口構造に深刻な悲観論が広がることである。それは、20世紀初頭の英国でも見られたが、1950年代のフランスではきわめて深刻な形で人口の長期的な減少予測が問題となった。しかしいずれも当時語られた程、深刻な状況には進まなかった。それは一時的な「過度の悲観論」として終わり、周辺諸国との人口動態にかかわる「負の格差」はやがて大きく改善していった。その主たる理由は後述するように「大いなる文明要因」であった。
 第二に財政の構造が極度にひっ迫して、国家統治面でも一時的に進退窮まる状況が生じる。ここで言う先進国はいずれもその時代の技術水準において高度な都市化と情報化が進み、それと並行して大衆民主主義の段落に入っていたため、ポスト成長期に付随する経済・社会活力の衰退期と重なって到来する財政危機に対しても、その抜本的改革は政治的に通常以上に困難なことになる。
 20世紀初頭の英国や冷戦末期の米国では国防支出の急速な増加という時代条件があり、50年代のフランスや70年代の英国では左派のイデオロギーや運動が財政改革をくり返し挫折させる。古い時代には大戦や大恐慌の到来で旧来の財政構造は一気に外側から清算されるが、その“幸運”に恵まれない場合は、自ら意識的にその破壊が求められる。「衰退」が叫ばれた時代にこの課題に取り組んだ最近の事例が「サッチャー改革」あるいは「レーガン改革」だったと言うこともできよう。しかしそれは稀有(けう)なほどの成功例といってもよい。
 そもそも時代に合わなくなった財政システムを意識的に破壊するには、例外的に強い政治の意志力が必要となる。ところが先進国が数十年の周期で陥る財政の構造的危機に符合して、政治の指導力も極端に枯渇する。この劇的な因果関係には、歴史の大きな波動、「国民の文明力」とも評すべき深い歴史要因が潜んでいるようにも思える。
 「人口減少」の悪夢に悩み財政基盤の崩壊にひんした50年代の第四共和制期のフランスでは、10年間に実に11回も内閣が交代した。大衆民主主義状況にある先進国が活力衰退に陥ったとき恒常的な政治的不安定が生まれるのには、他にも理由がある。20世紀初頭や70年代の英国では、フランスのような頻繁な内閣交代こそなかったが、伝統的な二大政党制が一時的に維持できなくなり政党の離合集散や多党化による連立政権が続き、やはり政治の意志力がかつてなく希薄化した。
 また第三に、そこでは「衰退」への焦りからいわゆる「改革論の季節」が到来し、やみくもで場当たり的な“改革”に関心が奪われる。とくに立法府の権限が強い国や時代においてはそれがかまびすしく論じられれば論じられるほど逆に政治の指導力は混迷を深める。かくして衰退は一層深まり、やがて政治構造の大きな転換なしには再生はありえないことが意識されるようになる。しかしそこには価値観や歴史観といった思想面でのタブーがしばらくの間、改革の大きな壁となって立ちふさがり「更なる漂流」の期間が続く。
 第四に、価値観の混迷が悪化する経済・社会状況と結びついたいわゆる「モラルの崩壊」現象が、教育問題の深刻化や治安の悪化、犯罪率の著しい上昇を招く。そこで「法と秩序」や「教育改革」の必要が声高に叫ばれるが、それはまた政治の場におけるそれまでの古い民主主義理解との間に軋轢(あつれき)を生み、ここでも価値観や思想、時代精神という文化的ファクターが社会過程を拘束するという文明史現象が浮上する。


「文明史観」が時代切り拓く
 20世紀は「社会主義の世紀」であったと共に日本では「社会科学の世紀」でもあった。しかし、21世紀には「文明史観が時代を切り拓く(ひら)世紀」となることが求められている。そもそも人口問題もその根底には家族をめぐる価値観や国家の先行きに対する人々の「大きな歴史意識」という文明要因がかかわっていることを忘れてはならない。
 衰退の四重苦に悩んだ第四共和制のフランスは、ドゴールの登場と第五共和制の強力な政治構造に体制を一変させたことがその再生につながったし、サッチャーやレーガンの改革も結局、強力な政治主導による再生であった。しかしそれは「構造改革」という名の単なる政治・社会システム上の営みである以上に、人々の思想や価値観、人生観をも一変させるものでもあった。つまり「国民の文明力」の根源を活性化させるような「大きな政治」が衰退からの再生には不可欠なのである。